或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


2013年10月


  114..トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~エピローグ

エピローグ

 

何人かに「庄野真代」が歌って、ミリオンセラーにもなった《飛んでイスタンブール》と

云う歌を知っているかと尋ねたら、半数以上が、知らないと答えた。

それもそのはずである。1973年にヒットした作品である。

今回の、トルコ旅行記を書くにあたって題名を、「トルコ旅日記」とし、サブタイトルに「渋滞んでイスタンブール」とした。渋滞んでを「コンデ」と読んで欲しいのである、つまり、《飛んで》と《渋滞んで》を掛けた洒落のつもりである。あまりにイスタンブールの渋滞が酷いから、皮肉ったのだ。洒落の説明ほどダサい事はない。お許しあれ。

ここでもう一度登場人物のおさらいをする、

何といっても「あちゃんチーム」数々の話題を提供していただいてありがとう。このチームの存在がなかったら、《旅日記》を書く気にはなっていない。(姫路市在住)

高校生とその保護者チーム、高校生は実は中学の英語の先生で、部活でソフトボールを教えていて、保護者は大学の事務職。先生は今も真っ黒になりながら、短い髪の毛をゴムバンドで無造作に束ね、ソフトボールを教えているだろう。(堺市在住)

生意気なガキのいる家族チーム、幸せになってね(奈良県在住)

石川県在住の新婚チーム、私の年齢になっても優しい夫婦でいてね。

普通のOLチーム、既婚者の彼女、今度は旦那さんと一緒にね、家島美人、またどこかで巡り会いたいものです。

いけてない教師風チーム、来年の旅行プランをもう練っていますか?

ミニミニチーム、あれで案外似合いの夫婦のような気がする。奥さんアルコールは程ほどにね。

どちらも背の高いインテリ?チーム。家庭では笑い声の絶えないカップルかも。

爽やか宝塚チーム(市原夫妻)今月末に《志澤塾》に遊びに来られる。待っています。

小嶋さん、自分のルームナンバーは間違わないように、私の部屋に遠慮のないツアー客から、矢のような間違い電話がかかりましたよ。

自信満々のハンデさん、日本とトルコの架け橋になってください。

皆さん!ありがとう、さようなら。

 

編集後記

二度とツアーには参加しません。①食事が悪すぎる②時間がハード③団体行動に適さない人が多い(自分も含めて)。

明日の早朝にはオリンピックの開催地が決まる。それをもってこの旅日記も終わる。

追伸!オリンピックの開催は、東京に決定。ゴメンネ、イスタンブール。

またまた追伸!親愛なるF氏へ、君からの依頼事項に関しては、調査に至らず。自分自身でご確認あれ。

≫ 続きを読む

 

  113.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月18日

8月18日

 

いよいよトルコ旅行も最終日だ。

今日は長い一日になりそうである。フライト時刻は、正確にはトルコ時間の8月19日AM0時50分。

朝食を済ませキャリーバックをドアの外に置くと、出発まで1時間以上ある。その時間を利用してホテルの近くに見えるモスクを訪ねることにした。実際に行って見ると、広大な敷地の中に立派で重厚なモスクが建っており、礼拝堂に入ってみると、中は清々しい空気が漂っている。ドームも趣があり、思わず正座をしてお祈りを奉げた。

広いお庭をゆっくり歩いていると、先生チームと出くわした。きっと彼女達も爽やかな気分に浸ったと思う。

9時30分出発。バスは古代ローマの面影を僅かに残したヴァレンス水道橋(コンスタンティヌス大帝時代に建設が始まり378年に完成した)とテオドシウスの城壁を眺めながら、レザーの専門店に着いた。お店に入るとチャイが振舞われる。三階に案内され、ミニファッションショーが始まった。モデルは女性が四人と男性が二人である。代わる代わる様々なレザーのジャケットやコートやワンピースを身に付けて、颯爽と舞台を踊るように闊歩する。15分ほど経過した頃に、ゲストとして舞台に上がれと、私とOLチームの既婚者を指名した。逡巡していたが、彼女がいち早く舞台に上がったので、私もそれに従った。楽屋に行くと、簡単な歩き方とポーズの決め方を、身振り手振りで指導される。どうみても冴えないペアだと思うが、仕方ない、『賽は投げられた』である。幕が開き、私はモデルの女性と、彼女は男性と、ステージへと引きずられるように登場した。フラッシュが眩しい。私は片手を挙げ、軽く微笑み会釈した。精一杯の演技である。

モデルに借り出された訳ではないが、子羊皮のジャケットを購入した。OLチームの家島出身の彼女が「黒が似合いますよ」と言うので黒を選んだ。インテリ?チームも女性のほうが、コートを買っていた。爽やか宝塚チームはどうやら気に入ったものがなった様子だった。

トプカプ宮殿までは15分足らずで着く。今日はさすがに日曜日なのか、いつもの渋滞ほどではない。トプカプ宮殿は、オスマン朝時代における支配者の居城として、400年も長きに亘って、政治・文化・経済の中心だった。広大な宮殿内には、教会はもとより、ハレムや宝物殿もあり、その権力の強大さを物語っている。

昼食はトルコ風中華料理である。この店は坂道の途中にあり、これを登ったあたりで、今年の六月ごろ国際世論を賑わせたデモがあったところだそうだ。

中華はまあまあ食べられた。食事が終わる頃にガキがハンデさんと何か話している。

「ハンデさん、ハンデさんの生きがいは何ですか」

「そうね、生きがいね、難しい質問ね」

「では大切にしていることって何ですか」

「それは家族ね、仲良く暮していければ幸せだわ」

「素晴らしい」と言って、拍手をする。ガキチーム、ミニミニチーム、続いてあっちゃんチームも手をたたく。私はシラケル、虫唾が走る。このガキは、名前でしか呼ばない父親と母親の前では《いい子》ぶっていて、いないときは生意気で性格の悪いガキだとしみじみ確信した。

昨日娘たちと行った巨大なグランドバザールとは比較にならないが、エジプシャンバザールに行く。そこのショールの専門店で何枚か吟味していると、隣で爽やかチームの奥さんが「何枚買っておられるの?私のもあります?」と、微笑みながら可愛く言う。

リシュテム・パシャ・モスクへは徒歩で5分とかからない。そこも沢山の観光客と信者達でごった返していた。でも礼拝堂の中は静寂で凛としており、ドームも荘厳である。

30分程待って、我々は船に乗り込み、ボスボラス海峡のクルージングを楽しんだ。新市街と旧市街を交互に見ながら、心地よい波を身体で受けながら、適当にデジカメのシャッターを押す。

下船するとバスが待っていた。今から夕食だという。まだ5時を少々回ったところだ。殆ど空腹は感じない。泣く子とガイドには勝てないので、命令に従う。海鮮料理だというが、どの種類の食べ物も口に合わない。かろうじて辛抱が出来る料理のみ押し込む。ミニミニチームの女のほうはビールを片手に(旦那の方はアルコールがダメである)、片っ端から胃袋に放り込む。あっちゃんチームの女性は、あっちゃんにこれ食べてと、かいがいしく世話をするが、どうやらあっちゃんは味が少しは分かるみたいで、あまり食が進まない様子だ。それでもインテリチームは静かに黙々と食べている。いけてない先生風チームの一人が、「今度はどちらに行かれる予定ですか?」私に尋ねる。「そうですね、ハワイにでも」とぶっきらぼうに答える。「ハワイですか、何回くらい行かれているのですか?」「まあ、20回くらいかな」「では、別荘か何か持っているんですか?」「別荘はないけど、行くとコンドミニアムを借りて、1ヶ月くらい滞在します」と、いい加減な冗談を言う。「まあ素敵」と本気にしたみたいだ。

最後の締めは、なんといってもトルコアイスだ。旅行雑誌にも取り上げられた《伸びるアイス》のパフォーマンスが始まる。全員がカメラのシャッターを切る。私もお付き合いでシャッターを押す。アイスが全員に配られる。あっさりとしてなかなか口当たりの良い味である。トルコアイスを食べながら、魚市場を見学する。爽やかチームの奥さんはどうでも食べたいものがあり、それを探す。トルコ料理の中のドルマの一種で、ムール貝にお米を詰め込んで、蒸したものである。すぐ見つかり、我々も食べてみる。炊き込みご飯のような味で日本人には合う食べ物だ。市場をもう少し見て回ると、海老やら蟹やらまた新鮮な魚介類がたくさんあった。我々はいったいこの一週間何を食べてきたのであろうと、愕然とした。あまりに情けない、トルコ最後の晩餐だった。

 

 

空港には7時過ぎに到着。フライトまで5時間以上ある。

ビジネスカウンターは空いていた。隣を見ると、あっちゃんチームがいる。小嶋さんに、

「彼らもビジネスなの?」と聞くと、「いえ、ゴールド会員で、チェックインはビジネス扱いですが、席はエコノミーです」と冷たく答える。

早速ラウンジへと向かう。そこは高級ホテル並みのラウンジである。いろいろラウンジは利用したが、イスタンブールのラウンジは桁外れに広くしかも豪華で、飲み物の種類も軽食類の品揃えも豊富で、おまけにシアタールームも完備されており、ソファーも座り心地も良くゆったりしている。ラウンジの中を散策していると、隅のほうでロープのようなもので仕切られて、ぽつねんと座っているカップルがいる。よく観るとあっちゃんチームである。

日本から持参していた本を読むのも少々飽きたので、空港内を歩くことにした。石川新婚チームが免税店でショッピングをしている。

「何か買い物ですか?」「ええ、まあ」「奥さん、この一週間見てきましたが、ご主人優しいですね」「はい」「優しいだけが取り柄ですから」と主人がフォローする。

「関空から石川県までどうやって帰るのですか?」と聞くと、送迎のジャンボバスで帰ると事だ。「多分、午前0時は過ぎると思います、明日は主人は仕事なんです。ちょっと可愛そうです。」奥様も心やさしい素敵な女性である。

石川チームと別れてブラブラしていると、フェラガモのお店に爽やかチームがいた。主人は京大を出て公認会計士をしている、秀才である。

「今ね、主人におねだりしているの、稼ぐのもお金の管理も主人なの、でもお願いするのはただですものね」人の好い市原会計士は、たくさん持っているから、と宥めている。その結末は知らないが、おそらく購入したと思われる。

それから一時間ほどラウンジで過ごし、出発ゲートに向かう。イスタンブールの空港はとてつもなく大きくて、端から端までが1キロくらいありそうである。小嶋さんに挨拶をして、飛行機に乗り込んだ。来るときは隣が空席だったので、気を使わなかったが、今度は中国人らしい婦人が席に着く。

来るときもそうだが、今回も夜の機内食を食べる前に、眠りについた。途中目が覚めてからは、映画を観たり本を読んだりして過ごした。朝食はガッチリ食べ、洗面所で歯を磨いたり、顔を洗ったりしていると、関空に着陸した。11時間のフライトが短く感じられた。飛行機のドアが開くのを待って、一番に降りた。ターンテーブルでは三番目くらいに、キャリーバックが運ばれてきた。

《はるか》と《新幹線》を乗り継いで、姫路に着いたのは午後8時前だった。

意外と元気である。トルコの旅は終わった、と実感した。

 

≫ 続きを読む

 

  112.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月17日

8月17日

 

イスタンブールでの滞在ホテルはクラウンプラザホテルである。娘(名前はあずさ)には昨夜AM9時にホテルのロビーに来るように電話で伝えておいた。

約束の9時10分前にロビーで待っていると、石川県から来ている正真正銘の新婚カップルもロビーへエレベーターで降りてきた。

「今日は娘さんとご一緒なのですよね」と主人が話しかけてきた。

「ええそうなのですが、まだ来ません。今朝は奥様の顔色は良さそうですね、二日ほど前はしんどそうでしたものね」と言うと

「よく観られていますね、実は体調を崩していたのですよ。」と主人。

「昨夜は本当によく眠れましたから、元気になりました。」奥様が付加える。

私の高評価から三番目に位置するカップルである。年齢は30歳を超えていて、好感度の高いペアである。

石川新婚カップルは、出発まで時間があるのだろう。ホテルの玄関から「いってきます」と、挨拶をしながら出かけていった。

あずさは九時を過ぎても来ない。「渋滞がひどくて」と言い訳しながら15分以上遅れてやってきた。勿論同居人も一緒に。

「お父さん、一年ぶり」たどたどしい日本語で精一杯の愛想を振りまく。私は心の中で(お前にお父さんって呼ばれる筋合いはない)と叫ぶ。

事前に観光スポットを調べておくように、と娘に言っておいたので、ホテルのソファーに座り、今日一日の計画を確認しあった。移動方法は基本的に渋滞を避ける為に《トラム》(路面電車)を使うことにした。先ず回数券を買い求める。

最初にアレキサンダー大王の石棺があり、ギリシア・ローマ時代の発掘品のコレクションで、世界的にも評価の高い「国立考古学博物館」を訪れた。その膨大な量の出土品や彫刻は、考古学的知識の薄い私でも感動を覚えた。また、装飾タイルの見事さも、今も目に焼きついている。

次にアヤソフィア大聖堂へ行く。ビザンティン建築の最高傑作と称され、トルコの幾多の歴史を物語る建築物である。ローマ時代には、ギリシア正教の総本山として君臨していたが、後にイスラム寺院として姿を変え今日に至っている。イスタンブールを象徴する建物で、トルコ人も含め、世界各国の観光客で賑わっている。

寺院内は工事中であったため、私は30~40分くらいで見終わった。出口で二人を待っていたがなかなか現れない。30分ほどしてあずさがやっと姿を現した。いくら待っても一向に同居人が出てこない。娘に中の様子を見に行かせる。小一時間ほどしてやっと足を引きずりながら同居人が現れた。

午後の一時近くになっていたので昼食を取ることにしたが、適当なお店が見当たらないのでホテルに帰りランチをすることにした。ランチを済ませてから、暑さと歩きに多少疲れたので、私の部屋で休憩をとる。昼寝も含めて一時間ほど身体を休めてから、スルタンアフメット・ジャーミィへ行った。この建物はオスマン朝時代の最高傑作で、トルコを代表するイスラム寺院であり、今も多くのイスラム教徒の礼拝堂として使用されている。

日本の神社仏閣では見受けられないが、キリスト教会もそうだが、イスラム教の寺院に礼拝するときは、男性も女性も肌を露にする事は許されない。特に女性はショールを頭に巻き、肌は見せてはならない。

地下宮殿を足早に見学してから、我々はグランドバザールに行くことにした。そこは巨大迷路である。広さは見当付かないが、甲子園球場の30倍はありそうである。お店の多さといい、品種の多さといい、ないものはない。知識が豊富であったなら、上手に買い物が楽しめると思った。同居人は音楽家である。歌も上手いが、楽器なら殆どこなせる。今年の初めに、尺八を送って欲しいと頼まれて、その道のベテランに相談し買い求め、ウィーンに届けた。尺八は「首振り三年」と言われるほど難しいが、彼は10分で演奏出来たとの事。彼はボンゴを買った。値段が安いわりには音が良い、と言うのが理由だ。

あずさはいろいろ迷っていたが、グランドバザールではショッピングはしなかった。結局ホテルに隣接しているお店で買うことにした。ランチのときにホテルから今夜の食事をリザーブしてもらっていたので、時間の余裕はあまりなかった。散々試着したが、私の推奨するワンピースはふくよか過ぎて似合わない。最終的には同居人が進めるレザーのジャケットに決めた。予約の時間が押し迫ってきているので、ホテルの前に停車しているタクシーを利用することにした。それがそもそも間違いだった。10分もかからない場所だが、イスタンブール名物《渋滞》に巻き込まれ、運転手はいろいろとわき道を通ったにも関わらず、30分以上も遅れてしまった。

レストランの名前は《SHA》。屋上の見晴らしのよい席に案内された。

《前菜》《スープ》《野菜サラダ》そして《肉料理》

前菜は5種類ほどありどれも美味しく、スープはこくがあり香りも良く、野菜サラダはシャキシャキとして歯ごたえもいいし、肉は柔らかく風味があった。やっとディナーにありつけた、という思いだった。屋上の席は、マレマラ海からの心地よい風が吹き、アヤソフィア大聖堂をはじめ、旧市街が一望できる。ご満悦、ご満悦。

トラムの駅で彼らと別れた。私の泊まっているホテルは旧市街にあり、彼らの宿泊しているホテルは新市街である。

もう少し一緒にいたいと言う気持ちはあったが、顔には出さず潔くさよならをした。

今度いつ会えるかは分からないが、彼女が幸せに暮していくことを願った。

イスタンブール最後の夜は終わろうとしている。

明日はまた例のツアー客達が待っている。

おやすみ、アラーの神。

≫ 続きを読む

 

  111.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月16日

8月16日

 

朝食を6時半頃に取る。出発までの時間を利用して、目の前に広がるエーゲ海の香りを嗅ぐことにした。100メートルくらいの桟橋があり、その先端までゆっくり歩く。帆を降ろしたヨットが2~3艘停泊している。私は思わず「ジュディオング」の《魅せられて》の一節{wind is blowing from the Aegean}を口ずさんだ。桟橋から引き返す途中、教師風の今一いけてない女性ペアと会った。私は精一杯の笑顔で、

「写真撮りましょうか?」と尋ねる。

「ええ、お願いします」

「あなたも撮りましょうか?」

「いえ、私はいいです。」と断った。

アイワルクのグランドテミゼルホテルをAM7.30に出発。トロイ遺跡へと向かう。3時間足らずで着く。

日本には三大ガッカリ名所(迷所)がある。一つは札幌の時計台、もう一つは高知のはりまや橋、今ひとつは沖縄の守礼の門。

現在展示されているトロイの木馬はそれ以下である。レプリカは理解できるが、もう少し芸術性の高い作品を造って欲しかった。紀元前1200年頃ギリシャとの戦いで、トロイは滅亡した。ギリシャが勝利を収めた最大の要因が「トロイの木馬」作戦の成功だった。申し分のない歴史的伝説である。トロイ遺跡は、ローマ時代のものも含めて、所々オリジナルの城壁や、木馬を運んだであろうと思われる石畳の道を見ることができる。修復作業も行われているが、あまり進んでいない様子だ。

途中昼食を取る。韓国のチジミによく似た食べ物で、食感もよく抵抗なく食べることが出来た。食事中にあっちゃんチームとミニミニチームが向かい合わせになり、喋り出したからもう止まらない。お酒も入り、まるで小宴会状態になる。私は離れた席にいたが耳障りである。三人家族チームのガキが、「あいつら、五月蝿いなあ」と、舌打ちをする。

昼食後フェリーでダーダネルス海峡を渡る。バスで3時間ほど走ると、イスタンブールの町が見え出した。

イスタンブールの人口は1500万人で、ボスボラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれている。『ヨーロッパとアジアの架け橋』と呼ばれている所以である。カッパドギアから始まり、今日まで我々はアジア側を旅してきたのであるが、今立っているのはヨーロッパ側である。ヨーロッパ側は、新市街と旧市街に分かれている。有名な観光地は殆ど旧市街に集中している。

急にバスのスピードが鈍くなった。ハンデさんが、「やはり渋滞し始めましたね、イスタンブールの交通渋滞は有名で、これも楽しんで下さい」。と言う。

市街地に近づけば近づくほどバスは殆ど動かなくなった。小嶋さんが自分のキャリーバックを持ってバスのドアから飛び出していく。このままの状況では今夜のベリーダンスのショーに間に合わなくなるかもしれないから、一足先に降りてホテルのチェックインを済ますのだそうだ。ハンデさんの説明の主旨が理解できたのは、バスがその場所から4~500mほどしてからユーターンをし、小嶋さんが下車した反対側に停車したときだった。それまでに要した時間は30分以上だった。私は

「これでは《飛んでイスタンブール》ではなく《渋滞んでイスタンブール》だ」と皆に聞こえるように言ったが、あまり受けなかった。

機転の効いた「小島」「ハンデ」コンビのお陰で、ベリーダンスショーが始まる時刻には十分間に合った。

ショーが始まる前に食事が運ばれてきた。一応前菜があり、スープも付いている。いよいよメインディッシュ。鶏肉がきた。フォークとナイフを駆使するが、なかなか切れない。まるでビーフジャーキーのようだ。ビーフジャーキーなら噛めばそれなりの味はあるが、ジューシーさの欠片もない。私は半分以上残した。隣の普通のOLチーム(私が勝手につけたニックネーム)も殆ど食していなかった。

『何処から来たの?』から会話は始まった。二人は元同僚で、片方は結婚を期に二年前に退職し、今回旦那さんは留守番との事。感じの好いもう一人は、家島出身で神戸の東灘住んでいるとのことだった。

ベリーダンスが始まった。何年か前にドバイへ行った時、砂漠の中で夜篝火を囲んで観たことがあった。ダンスそのものは今回のほうが遥かに上手く感じる。何曲目かの民族舞踊の時、踊り手が観客に舞台に上がるよう促した。300人近く観客はいたと思うが、我々の団体から名乗りを上げるペアがいる。目で追うとなんと背の高い男女のペア「インテリチーム」ではないか!最後まで会話はなかったが、意外と面白いペアだったかも知れない。そう言えば小島さんもそれらしきことを洩らしていた。

こうして4日目の夜も終わろうとしている。

明日は長女とのデートが待っている。但し、あの同居人も着いて来る。

 

≫ 続きを読む