或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


2013年09月


  110.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月15日

8月15日

 

モーニングコールAM5:30、ホテル出発7:00

30分程で世界遺産に登録され、白い奇岩と呼称されている石灰棚に着く。石灰棚は、台地上部から流れ出る石灰成分を含む湯が、何万年もの長いときを経て結晶化し、台地全体を覆ったものである。深さは30cmもないくらいの石灰棚では、足湯が楽しめる。私もズボンをたくし上げ足湯を体験することにした。湯はほんのり温かい。35~6℃位の温度だろうか。所々石灰岩が尖っており、足の裏が刺すように痛い。
今朝の朝食の時もそうであったが、早朝から異常にテンションの高い、背の低い女性とそれとは対照的に口数の少ない男性のペアが気に障っていたのであるが、そのペアの女性がキャッキャと足湯の中で騒いでいる。「明るくて元気なのと、異常にテンションが高く賑やかなのとは違うよ。それはKYって言うんだよ。」と注意しそうになった。(これ以降このチームをミニミニチームと呼ぶことにする)
15分ほどで足湯を切り上げ、ヒエラポリスの遺跡を回った。ヒエラポリスの遺跡には、微かではあるが古代ローマの香りが残っている。
集合時間が近づいたのでバスに向かう。時間は過ぎているのにバスはなかなか出発しない。遅れている人があるらしい。「あっちゃん」チームだ。10分遅れでバスは動き出す。
昼食は焼き鳥風ランチである。昨夜のバイキングより美味しく感じる。
昼食後エフェソス遺跡を見学。昨年訪れたポンペイほどではないが、規模と保存状態の良さは、それに匹敵するものが感じられる。2万4千人を収容できる大劇場は、ローマのコロッセオを髣髴させるものがある。また公衆トイレや娼館も残っており、生涯の大半を視察に費やしたハドリアヌスの神殿、コンスタンチヌスゆかりの住まいも見受けられ、一年ぶりに古代ローマに触れたひと時だった。
バスは一路エーゲ海に面したアイワルクへと進んでゆく。車窓からの風景は見飽きたものであるが、住宅の屋根には小規模な太陽光発電が眼につく。ハンデさんに尋ねると、自宅のお風呂に使用する量だけ確保する規模のものらしい。日本における、少し前の朝日ソーラーや湯ワイターの類であろう。またトルコ共和国の国旗がやたらと掲げられている。私はそれをヒントに、帰国したらグループのCI旗を創り、各グループ企業に国旗とともに、掲揚することを思いついた。日本という国家はあまりに国旗を大切にしない、国旗を掲げることで国を思う心が芽生えるのではと、感じたのである。休憩を兼ねて、トルコ石の販売店にバスは停る。トルコに来る前は、絨毯は買わないが気に入ったトルコ石があれば買い求める気でいた。眼鏡を取り出し見つめる。これこそが本当のトルコブルー。鮮やかなブルーが私に向って微笑みかけるようだった。アンティークなトルコ石もまた趣があった。衝動買いの誘惑からなんとか逃れ、鑑賞に気持ちを切り替えた。あたりを見渡すと、先生チームがお店の人と商談をしている。何を買い求めようとしているのかと覗くと、バングルだった。確か彼女たちは絨毯工場でも「玄関マット」を購入したはずである。一見地味そうに見えるチームだが、なかなかどうして立派なペアである。(大きなお世話ですと叱られそう)我々は学生の街イズミールを経て、眼前にエーゲ海を望むアイワルクに到着。三日目の宿泊は高級リゾートホテル、グランドテミゼルホテルである。
今夜のディナーは?またもや『バイキング』

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  109.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月14日

8月14日

 

モーニングコールAM5.30.

勿論私は4時頃には目が覚めている。日本との時差は6時間。つまり、4時は10時である。外はまだ暗い。シャワーを浴びても朝食までの時間は充分すぎるほどある。テレビのスイッチを入れたが、スポーツ番組くらいしか理解できないので、そのままにしていると、ちょうど世界陸上の結果を報道していた。ウサイン・ボルドが雨の中100mを制したと伝えている。日本の高校生君は二回戦にも進めなかったらしい。

荷造りも済ませ、本を読みながら朝食までの時間を過ごす。

朝食会場に来て見ると、ウインドウ越しに気球が群れをなして空に浮かび飛び交っている。

小島さんに「我々は乗らないのですか?」と、問うと、

「時間がありません、もう一泊しないと無理です。」

朝食を済ませて自分の部屋に帰ろうとしていると、爽やかな新婚らしいペアの女性から

「トマトいりませんか?私たち昨日の夕方お散歩していたら、お百姓さんに沢山もらったの、美味しいですよ。ひとついかがですか?」と勧められた。

後日分かったことだが、この爽やかペアは結婚して五年くらいだそうで、宝塚に住んでおり、主人は公認会計士とのことであった。

AM7時ホテル出発。

さあ、バスの席であるが、運転席から見て右側はツウボックスで、左側はワンボックスになっている。一番前のツウボックス席はガイドのハンデさん。その横のワンボックスは小島さん。私は四列目のワンボックス席。では二番目と三番目はどうなっているかといえば、二番目のツウボックス席にはファミリー三人で参加しているうちの、中学生風のガキが一人、三番目のツウボックス席は母親が独り占め、三番目のワンボックス席は父親(最初は祖父かと思っていたが、どうもそうではない。母親は主人らしく対応している、時にはきつく、時には命令口調で。しかし、ガキはその男性に対して名前で呼んでいる。例えば悦男さん、という風に。)が陣取っている。すなわち、6席を3人で占領しているのである。その構図は最後まで変わることはなかった。

30分ほどでトルコ絨毯の店に着く。

どうやら絨毯を買わせる気らしい。その手に乗るものか、私は全く買う気はなかった。

中に入ると、責任者らしき男性が、日本人かと思わせるような日本語でしゃべりだす。

まず織子たちが旗を織っている工場に案内され、彼女たちが長い年月を掛け、幾本もの糸を操りながら製品となっていく過程を、日本の洒落も折り込みながら、弁舌爽やかに、様々なパフォーマンスも混ぜながら説明していく。それはまるで日本のガマの油売りの口上のごとくだった。私はその饒舌ぶりに呆気に取られていた。

気が付けば、別室に閉じ込められ2畳くらいの広さの絨毯を購入していた。

その後《ヘレケ》(トルコ絨毯の最高級品)を見せられたが、その美しさはただ見とれるばかりだった。

絨毯工場を出発し、シルクロードのキャラバン隊が旅の途中に宿泊したとされる「隊商宿」を見、トルコの古都コンヤに向かう。バスの中で今朝爽やか夫婦からもらったトマトを食べる。意外と美味しかった。

バスはトイレ休憩のため15分間停車。

ここのトイレは有料である。1トルコリラを支払う。アイスクリームを食べ、水を確保してからバスに向かったが、まだ施錠してありドアが開かない。運転手とガイドはレストランでしゃべりながら、チャイを飲んでいる。ようやく運転手がキーでドアを開けると、中から一人の男性が飛び出してきた。私は、イリュージョンの世界かと勘違いするほどタイミングがよかった。全員が揃い出発かと思いきや、飛び出してきた男性が、なにやらわめき散らしている。話の内容はこうだった。「自分がバスの中にいるにもかかわらず、だれも、運転手もガイドも添乗員も気が付かず、バスのドアを外から鍵を掛け、出られなかった。暑い中、エアコンもなしに閉じ込められた。」と言って、運転手とガイドに食って掛かっていた。全員がシラケタ空気になる。その男こそ我らが『あっちゃん』である。

コンヤで昼食を取る。それからメヴラーナ博物館を見学する。メヴラーナ博物館は、イスラム神秘主義の一派であり、その創始者メヴラーナの棺が納められている廟である。正面玄関には《私のもとへ来なさい。あなたがどのような人でも来るのです。あなたが無神論者でも偶像崇拝者でも、拝火狂信者でもかまわないから来るのです。》と書かれている。

バスはひたすら無風景の道を走る。

トルコは正式にはトルコ共和国という。宗教は勿論イスラム教である。その多くは、過激なシーア派ではなく、比較的温厚とされているスンニ派である。イスラム教はマホメットが教祖で、5つの決め事がある。①アラーの神一神教であり偶像はない(偶像崇拝禁止)②メッカに向かって一日5回のお祈り③年一回の断食(所謂ラマダン)④人知れず行う寄付⑤一生に一度の巡礼である。

この日、700キロのバス走行を経て、パムッカレのリッチモンドサーマルホテルに着く。

ディナー?はまたバイキング。

疲れすぎて、なかなか寝付かれない二日目の夜。

 

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  108.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月13日

8月13日

 

昨夜10時30分に関空を発つ。現地時刻AM5時30分頃イスタンブールに着く。約13時間のフライトである。ビジネスを利用したが、思うようには眠られなかった。ゲートを出たところで今回のツアー客20人全員が揃う。トイレに行く人、トルコリラにチェンジする人、添乗員小島さんがひとりひとりの顔を確認しながら点呼を取る。そこから国内線に乗り継ぎ、カイセリに向かう。

カイセリ空港は田舎の地方空港であるが、観光客に混じって多くのトルコ人が沢山の荷物を持ち、ごった返している。私のキャリーバックがなかなかターンテーブルから出てこない。他の19名のツアー客達はそれぞれにキャリーバックを手にしている。私は多少不安になってきた。最後にやっと小豆色した私のキャリーバックが姿を現した。

添乗員(これからは小島さん)の誘導の元、観光バスに乗り込む。バスの苦手な私は出来るだけ前部座席(それでも前から4番目。理由は後述する)を確保する。バスが動き出すと、小島さんが現地ガイドのハンデさんを紹介する。ハンデさんの流暢な日本語での説明を受けながら、約1時間でトルコでの最初の観光地、『カッパドキア』に到着する。

『カッパドギア』は、アナトリア地方に広がる大奇岩地帯のことを言う。数億年前エルジエス山の噴火によって造られたもので、火山灰と溶岩が数百mずつ積み重なった末、凝灰岩や溶岩層になり、それらが長い年月の末自然の風雨に浸食されて現代の形をなしている。その奇岩地帯は私の想像を遥かに超えるスケールで、面積的には姫路市に匹敵するくらいの広大さである。

イヤホンガイドにハンデさんのよく通る声での説明が響いてくる。

その頃からやたらと意味のない場面にも関わらず、デジカメのシャッターを押す品性が全く感じられない、どう見ても50歳近い一人の女性が目立つようになった。時々

「アッチャン!こっち!写真撮るよ。」

アッチャンと呼ばれた45歳前後の男性が、それなりのポーズを取る。アッチャンもまたその女性の写真を写す。奥様らしき女性はピースをする。私の背中に鳥肌が立つ。

私は、若い可愛らしい女の子のピースサインは許せるが、オバさんのピースサインは許せないタイプなのである。ここに『アッチャンチーム』の誕生である。

宗教とは、元来人間が幸せに生きるための教えである。しかし今地球上での争いの半数が宗教戦争である。(他の半数は民族紛争)その最大の原因は、国家が唯一神教とし、その他の宗教を認めず弾圧し政治に関与し始めたことだと、私は考えている。古代ローマがそうであったように、八百万の神が正解だと信じている。

ここカッパドギアに点在する地下都市群も、イスラムから逃れる為に造られたキリスト教徒の隠れ家であった。暗い洞窟の中には隠れキリシタンのために描かれたキリストのフレスコ画が残っている。

昼食はこの地方で取れる鱒の焼き物である。アッチャン妻がデジカメに鱒の姿焼き?を収める。どう見ても美味しそうとは思えないその料理を。

PM5時前に、ウチヒサル・カヤホテルにチェックイン。楽しみの一つであった洞窟ホテルだ。私のイメージからすると、カッパドキアに点在する奇岩の一つをくり貫いて造り上げたホテルだと思っていたが、実際は洞窟風に建築されたホテルだった。

夕食までに時間があったので、ガイドのハンデさんご推奨の「ハマモ」を体験することにした。受付を済ますと、先ずサウナに15分程度入る。それから大理石の様な円い形をしだ上にうつ伏せに寝かされ、『あかすり』が始まる。担当は二十歳前後のやや小太りの若い女性である。今度は仰向けになり、糸瓜のような器具を使って擦る。

「イタイ?イタクナイ?」たどたどしい日本語で尋ねる。私は、

[少しイタイ]と答える。「あかすり」が済むと今度は泡の塊を手でこねくり回しながら更に大きくし、私の身体にぶつけるように落とす。それを何度も繰り返しながらマッサージの要領で身体を揉みほごす。約一時間の工程である。

適当にお腹も空き夕食である。トルコ料理は何といっても世界三代料理の一つに数えられている。食道楽の私にとって期待の星である。

レストランに行ってみると、我々のツアーのテーブルが決められており、なんだか様子が変である。どうもバイキング形式の様である。私は、先ず前菜が運ばれ、それからスープ、魚料理で、子羊かなんかのメインデッシュが来て、最後はトルココーヒーとデザート。

私の夢は無残にも打ち砕けていく。

隣を見ると、長くもない髪の毛を無造作に輪ゴムで束ねた、健康的に日焼けした女の子が美味しそうに食べていた。私は思わず、

「あなた、高校生ですか?」と口に出してしまった。どうみてもその女性のペアは、高校生とその保護者にしか見えなかった。

「いいえ、社会人です。」とぶっきらぼうに答えた。

「ごめんね」と、私は謝った。その後の旅で判明したことだが、輪ゴムの彼女の年齢は26歳で、中学校の教師をしており、部活でソフトボールを指導しているのだそうだ。もう一人の女性は大学の事務職で、堺市に住んでおり、同級生とのことだ。教師だと分かってからは、輪ゴムの彼女のことを私は「先生」と呼んだ。

[先生、一緒に写真撮ろう]といった具合に。ここに「高校生とその保護者チーム」が名乗りを上げた。

トルコ一日目の長い夜が終わろうとしている。

 

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  107.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~プロローグ

2012年3月に経営の現場から退いた私は、自分のこれからの人生をどう生きるかについて模索するとき、しておきたいことがいくつかあった。

先ず歩き遍路だった。4月~5月をかけて満願の予定だったが、途中足の疲労骨折やスケジュールの関係で、愛媛と香川を残す結果となった。

それから203高地を皮切りに、奉天今の瀋陽を経て、そのままブータン王国を訪ね、インドを経由してイスタンブールに入り、最終にローマに到着する、という計画を立てた。ところが旅行社が一ヶ所ずつにして、その都度いったん帰国して再出発することを勧めたのでそれに従った。結果的にはそれがベストの選択だったと今は思っている。

インドは別として、時間的な都合によりイスタンブールつまりコンスタンティノープルを今年訪れる事になったのである。昨年の旅の経験(食事や語学力の乏しさ)を踏まえ、今回はツアーを選んだ。それが今回の旅行記へと繋がっていくのである。

ツアーの人数は20名で、それに日本からの添乗員、現地ガイド、運転手を含み、総勢23名の旅日記がいよいよ始まる。

最初に登場人物を紹介しよう。

男女ペアが5組。

先ずアッチャンチームーこのチームなしでは今回の旅日記は語れない。

朝からとてつもなくテンションの高いミニミニチーム(旦那が上月CCの研修生上田激似)。

後で判明したが石川県から来た新婚チーム。

宝塚に住む爽やか公認会計士チーム。

最後まで得体の知れないインテリ?チーム。

女性ペアが3組。

女子高生とその保護者チーム。

普通のOLチーム

年齢不詳のいけてない教師風チーム。

生意気な中学生とその親子風3人家族。

身体のわりに声の可愛い添乗員小島さん。

すべてに自信に満ち溢れている現地ガイドハンデさん。

名前がとうとう覚えられなかった運転手。

そして私。

さあ、いよいよ始まり始まり~、《パチパチ、パチパチ》

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