或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  9. 息子

「おおつかー、おおつかー」
という車掌のアナウンスの声に、私は少し顔を紅潮させながら、わざとゆっくり駅のホームに降りた。なぜなら東京の山の手線を目的とは反対方向に乗ってしまったのだ。
1時間ほど前、息子と巣鴨の駅で別れた。そして、駅前の公衆電話で面と向かってはどうしても言えなかった、
『本当は、お前が心配で心配でたまらない。出来れば1ヵ月ぐらい一緒に居てやりたい』
と伝えて、巣鴨駅の一角にある、だだっ広い喫茶店で不味いコーヒーとモーニングセットを食べ、お昼前の新幹線に乗るべく、東京駅に向かったはずであった。 それが、「大塚」ではお話にならないではないか。「駒込」方面行へ乗らずして東京駅へは行けない。
間もなく次の電車が大塚駅ホームに入り、私は辺りを伺いながら乗り込んだ。そして、さっき息子と別れた駅へ着いた。
「すがもー、すがもー」
というアナウンスに再び鼓動が早まったが、「駒込、田端」と過ぎて行くうちに平静を取り戻し、昨日からの出来事を思い浮かべてみた。
次男は、1年間京都で浪人生活をしていた。予備校へ行くはずであったが、今まで一度も体験したことがない寮生活の窮屈さに、少々ノイローゼ気味になり2ヶ 月で寮を引き払い、アパートに移ったものの、それからは多分一度も予備校へは行かず、只々毎日をぼんやり暮らしていたようだ。気がつけば、親も子も3月に なっていた、というのが事実である。
急遽、進路について親子会談をしたところ、まったく唐突に、本当は放送とか芸能関係に興味があり、そちらの方面に進みたいと言い出し、東京の専門学校へ行くことになったのである。
東京へ引っ越す前々日に、妻が京都のアパートへ行き、引越しのための荷造りをし、翌日の早朝、引越しセンターが収集してくれ、姫路から新幹線に乗った私は 京都駅で息子と落ち合い、東京へ。妻は自宅へ帰っていった。
その夜、息子と始めて二人きりで夕食をとり、池袋のホテルへ泊まった。
そして今朝、知人に頼んで探しておいたアパートへ行き、引越しセンターのトラックを待ち、荷物を片付けたのである。1年間の独り暮らしでも、息子の荷物は ほとんど増えておらず、整理するのも1時間足らずであった。私は仕方なく帰途についた。
新幹線が静岡を過ぎる頃には、私も落ち着きを取り戻し、明日からのビジネスの多忙さにうんざりするほどになっていた。
息子の、
『今度は、いろんなことに挑戦してみる』
という言葉だけを信じようと思った。