或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  77. お遍路日記ⅩⅩⅤ

第七十三番『我拝師山出釈迦寺(がはいしざんしゅっしゃかじ)』までは徒歩でも5分そこそこの道のりである。出釈迦寺には空海が5~6歳の頃、幼名を「真 魚」といっていた時代の伝説が残っており、釈迦如来との出会いが伝えられている札所である。第七十四番『医王山甲山寺(いおうざんこうやまじ)』の近くに は『満濃池』がある。この池は、水に恵まれなかったこの地域に、821年に弘法大師が満濃池別当に任じられ赴任してきて、わずか3ヶ月で完成させたと伝え られている。
いよいよ第七十五番『五岳山善通寺(ごがくざんぜんつうじ)』である。善通寺は弘法大師生誕の地である。45万平方メートルという広大な敷地は、もともと 父・善通卿の荘田だったそうである。境内は道路を挟んで東院(伽藍)と西院(誕生院)に分かれている。東院には金堂、五重塔、釈迦堂、五社明神、足利尊氏 利生塔、三帝御廟などがあり、樹齢千年を超す楠木もある。また東院には東の赤門、西の中門と南大門があり、自分がどこから入ったのか迷子になりそうであ る。
西院の仁王門を入ると正面には御影堂があり、大師生誕にまつわる伝説が数多くある。御影堂の地下に設けられている戒壇巡りをしてみる。そこは漆黒の闇で、 前方を歩く人の姿も見えない。やがて息苦しくなる。私は光明真言を心の中で唱えながら、壁伝いにゆっくり歩を進めた。どのくらい歩いたであろうか、やがて 前方に光らしきものが見え始めた。己の身に何か悪行があればその闇から出られないそうで、心底ほっとした。地元の人たちは善通寺を「お大師さん」と呼ぶそ うである。まさしく善通寺は弘法大師そのものであると思った。善通寺のご本尊は勿論「薬師如来」で、その真言は『おん ころころ せんだり まとうぎ そ わか』である。
善通寺に後ろ髪を引かれながら第七十六番『鶏足山金倉寺(けいそくざんこんぞうじ)』に着く。善通寺とは違って閑静な札所である。その分、趣があり心が休 む思いである。金倉寺には、乃木将軍が善通寺十一師団長を務めていた頃、東京から奥様がはるばる訪ねてきたにもかかわらず会わずに帰し、奥様がしばらく佇 んでいたという「乃木将軍妻返しの松」がある。彼の厳格な性格の一端を表すかのようなエピソードである。
雨は相変わらずしとしとと降り続いている。タクシーに戻ると運転手が「今日は、あと何番打たれますか」と尋ねた。私は時計を見ながら「そうですね、三番位 にしましょうかね」と答えた。明日で終わる。寂しさがそっとよぎった。