或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  59. お遍路日記XVI

第四十四番札所『菅生山大宝寺(すごうさんだいほうじ)』は杉の老木の中にある。仁王門には巨大な草履が奉納されており、百年に一度取り替えられるそう だ。ご本尊は十一面観音で、明神(みょうじん)右京(うきょう)・隼人(はやと)という狩人が安置したと云われている。石段を上り詰めると本堂、大師堂、 護摩堂が整然と並んでおり、保元年間には後白河法皇が病気平癒の祈願をされたところ全快したと伝えられている。
第四十五番札所『海岸山岩屋寺(かいがんざんいわやじ)』までは10キロそこそこである。駐車場に車を止めると、それまで降っていた雨がやみ、薄日さえ射 してきた。杉の巨木に囲まれた坂道や石段を20分ばかり登ると、ようやく本堂が見えてきた。岩屋寺は建物としては本堂より大師堂の方が大きいが、それには 由来がある。伝説によると、昔この山中には法華仙人という女の仙人が住んでおり、弘法大師がこの山を訪ねたところ「あなたを待つこと久しかった」と言い、 大師にこの一山を献上し大往生を遂げた。大師はそこで木と石の不動明王を刻み、木像を本堂におさめ、石像を山の中腹の洞穴に安置し山全体を信仰の場とし、 またご本堂でもあるのだ。寺の左右の礫岩峰は、胎蔵界峰、金剛界峰と名づけられ、この山全てがご本尊であり、まさしく真言密教の世界である。この地で大師 は「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとえむ」と、詠んでいる。
第四十六番『医王山浄瑠璃時(いおうざんじょうるりじ)』は、こじんまりとした閑静な札所である。本尊は薬師如来で行基が開基したと伝えられる。境内には 仏足石や説法石があり弁財天も祀られている。七福神の弁天様は何か一つだけ願い事を叶えてくれるとのことで、凡人には一つだけ、と言われれば迷ってしま う。
第四十七番『熊野山八坂寺(くまのざんやさかじ)』まではあっという間である。今は建物は鉄筋コンクリート造りになっているが、その歴史は古い。文武天皇 の勅願寺であり、701年に創建されたと伝えられ、その当時は末寺四十八ヶ寺を有していたが、相次ぐ戦火のため現在に至っている。恵心僧都(えしんそう ず)作とされるご本尊阿弥陀如来は50年に一度開帳される。幾多の苦難の中においてもなお、法灯は今も守り続けられている。
雨は多少小降りになった。空腹ではあるが、食欲があまりない。道端の食堂でうどんを食べ、その日の宿泊を予約した。松山市内に入ると車の渋滞は一層ひどく なり、イライラがつのる。もう何かに取り憑かれたように札所を駆け巡っているような自分が見える・・・・・・