或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  31. お遍路日記IV

心地よい疲れを感じながら十番札所切幡寺(きりはたじ)を後にした私は、三十分足らずで十一番札所金剛山藤井寺(こんごうざんふじいでら)に着いた。ここ の御本尊は『薬師如来』であるが、幾度となく災難から逃れて今日に至っている為、別名『厄除け薬師』と呼ばれ、多くの人々から親しまれている。
私は燈明をあげ線香を供え般若心経を唱えていると、「今から十二番や」「おたくもか、うちもや、十二番いややなぁ、堪忍して欲しいわ」と、いうような類い の会話が耳に入ってきた。私は二~三番札所前から多少気になっていた人達がいた。大きな布製のバッグに、三十冊前後の納経帳やお軸を入れ、朱印や墨書をし てもらう順番がその人達の後になった時は、結構待たされる事があった。お遍路に来ているのだからイライラするのはやめようと思っていなかったら(普段の私 を知っている者なら信じられない光景だが)耐えられなかったに違いない。彼等はどうもツアーコンダクターらしい。お遍路ツアーの人達がお参りをしている間 に、彼等が納経を済ませてしまう手筈になっているらしい。お遍路の喜びの一つに、納経所で朱印を押してもらい、墨書をしてもらい、三百円を納めさせてもら い、「ありがとうございました」と言い、その札所の御本尊の『御影(おみかげ)』を頂く事がある。その喜びをツアー客の人達はむざむざ放棄しているような ものである。一人旅を選択して良かった、とつくづく思った。
カーナビを『摩慮山焼山寺(まろざんしょうさんじ)』に設定し十一番札所を後にした。十分も経たないうちに山道に差しかかった。その山道も段々幅が狭くな り急なカーブの連続であった。時々すれ違う対向車とぶつかりそうになりながら進んでいく。ハンドルを握る手が次第に汗ばんでくる。もう一時間以上そんな山 峡の道を車を走らせている。道を間違えたのではないか?カーナビは合っているのか?誤ってこの谷に転落したら誰が私を見つけてくれるのだろうか?不安が次 から次へとよぎっていく。ツアーコンダクターの「十二番いややなぁ」と云う呟きが記憶の中から蘇ってきた。
阿波最初の難所『焼山寺』に着いたのは、夕方の五時少々前であった。駐車場から一歩一歩を踏みしめるように本堂に向かった。本堂からは遍路が唱える真言だ けが聞こえてくる。うっそうと繁る杉の木立にその真言も吸い込まれていく。深山の霊気をひしひしと身体全体で感じながら、私は般若心経と光明真言をそっと 唱えた。山の麓では桜は散っていたが標高938mの山腹にある『焼山寺』の境内は満開であった。金剛杖の鈴の音がお山全体に響く。来て良かった、本当に良 かった、一筋二筋涙が頬をつたった。それを拭おうともせず、私はいつまでもいつまでも暮れなずむ焼山寺の境内に佇んでいた。