或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  30. お遍路日記III

二番札所で納経帳に初めて墨書をしてもらった私は、金三百円也を納めさせて頂き、山門をくぐって振り返り、帽子を取って深々と頭を下げ、日照山極楽寺(にっしょうざんごくらくじ)を後にした。
六番札所まで思っていた以上にスムーズにお参りが出来た私は、少々早めの昼食を取った。それぞれの札所には弘法大師空海にまつ纏わる様々な逸話が残ってい る。二番札所の境内にはお手植の長命杉があり、三番札所金泉寺(きんせんじ)には水不足に悩む住民の為に掘った井戸があり、六番札所安楽寺(あんらくじ) には遍路の疲れを癒す温泉が湧き出ている。
昼食を済ませ車に戻り、今晩の宿泊の予約を入れる事にした。私は一人旅はもちろん初めてであったが、宿泊の予約なしの旅もしたことはなかった。何時何分の 飛行機でとか、何時何分の電車に乗ってその日の宿泊は何々ホテルで何時頃にはチェックインする、というふうに全てにおいて事前に決めておかねば気が済まな いタイプであるから、行き当たりばったりの旅行なんて私には考えられないのである。それが今回に関してはその日の宿はその日に決める、それも2食付 5,000円以内で、と何故か自分の中で期していた。
この調子ならあと六ヶ所位は充分お参り出来そうだ、今日は十二番まで行こう、とその時はただ単純に決め、十三番付近の宿坊を先ず当たってみた。残念ながら 宿坊には空きがなく、その近所の遍路宿に予約を入れた。カーナビを七番札所十楽寺(じゅうらくじ)にセットし、軽やかに車を走らせた。人間には八つの苦し みがあるが、それを乗り越えれば十の楽しみが得られるという意味の由来のある十楽寺から、本尊は四国霊場唯一の『涅槃釈迦如来(ねはんしゃかにょらい)』 が安置されている九番札所法輪寺(ほうりんじ)まではすこぶ頗る順調であった。
カーブの多いやや細い道だったが、20分もすると十番札所切幡寺(きりはたじ)に着いた。何気なく階段を登りかけたが、段数の多さがふくらはぎから太股の 内側にその兆候が表われ始めた。心臓の鼓動がだんだん早くなり、とうとう頭がくらくらし始めた。手摺につかまって休息を取ると、疲れがどっときた。私より 遥かに年老いた夫婦がゆっくり私を追い越してゆく。私は呼吸を整えてペースを落としながら登っていった。後で調べてみると御本尊から大師堂まで、333段 234段33段42段の順にその石段は続いていた。御本尊は『千手観音(せんじゅかんのん)』。私は心地よい疲れの中、我を忘れて般若心経を唱えた。
旅はまだ始まったばかりである。