或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  12. ヒロシ

先日、播但有料道路でチケットを渡した時、「毎度、ありがとうございます」という元気な声につられて、その声の主を見ると、見覚えのある顔であった。一瞬のことで名札までは確認できなかったが確かに面影に記憶があった。
思いやりの薄い知人から1ヶ月程前に、
「山下の奴、ヨメはんに逃げられて、店閉めて、どこへ行っとったんか知らんけど、また帰ってきてバンタンで切符切りしようらしいで。落ちぶれたもんじゃ」
と聞かされていた。
私と山下とはそんな親しい間柄ではなかったが、地元の小学・中学・高校と12年間を一緒に過ごし、時々は同じクラスにもなったと記憶している。取りたてて 思い出はないが、今で言う"めんこ"とか"ビー玉"遊びは隣の部落だったこともあり、小学生時代によくやった。
我々が通っていた中学校では正式な陸上部がなかったので、大きな大会が近づくと、にわか陸上部が結成されたものであった。主に野球部とかバレー部の連中が そのメンバーになるのだが、マイナーな競技のひとつである<走り高跳び>いわゆるハイジャンプに出場する選手がいなくて急遽、校内大会が行わ れ、何故かしら私と山下が1位2位を獲ってしまった…というようなことがあるにはあった。
高校は私は進学クラスで、山下は就職クラスだったのでほとんど接触はなかった。高校を卒業すると彼は地元の農協、つまり今風に<JA>に就職 した。私は1年間の浪人生活と4年間の大学生活を終え、父の会社に入り今日に至っている。そう言えば農協時代に一度、生命保険の勧誘にきたことがあったよ うに思う。
何年か後に彼は農協を辞め、一念発起で脱サラをし、自宅のすぐ側に炉端焼きの店を夫婦で開店し、物珍しさと彼の生来の人の好さでずいぶん繁昌していた。 が、不遇にも交通事故で入院するはめになり、店をどうするかとか細かなことは分からないが、奥さんと色々と揉めたらしい。とにかく奥さんが彼のもとを去っ たことは事実だった。情夫と逃げたとか、借金が嵩んだとか、彼が暴力を振るったとか様々な噂話を耳にしたが真意のほどは分からないし、知りたくもない。
この間、播但有料道路の料金所で、
「ここに、山下博って居ますか?」
と思い切って聞いてみた。
「ああ、ヒロシね。おるで、今日は遅番かな」
という返事が返ってきた。彼はここでも『ヒロシ』と呼ばれていた。そういえば、我々も彼を苗字で呼んだことなんてなかった。いつも、誰も、彼のことは『ヒロシ』だった。
もし、またここで『ヒロシ』に会っても、声はかけずにおこう。そう思いながら私は、アクセルを踏み込んだ。