或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  111.トルコ旅日記~渋滞んでイスタンブール~8月16日

8月16日

 

朝食を6時半頃に取る。出発までの時間を利用して、目の前に広がるエーゲ海の香りを嗅ぐことにした。100メートルくらいの桟橋があり、その先端までゆっくり歩く。帆を降ろしたヨットが2~3艘停泊している。私は思わず「ジュディオング」の《魅せられて》の一節{wind is blowing from the Aegean}を口ずさんだ。桟橋から引き返す途中、教師風の今一いけてない女性ペアと会った。私は精一杯の笑顔で、

「写真撮りましょうか?」と尋ねる。

「ええ、お願いします」

「あなたも撮りましょうか?」

「いえ、私はいいです。」と断った。

アイワルクのグランドテミゼルホテルをAM7.30に出発。トロイ遺跡へと向かう。3時間足らずで着く。

日本には三大ガッカリ名所(迷所)がある。一つは札幌の時計台、もう一つは高知のはりまや橋、今ひとつは沖縄の守礼の門。

現在展示されているトロイの木馬はそれ以下である。レプリカは理解できるが、もう少し芸術性の高い作品を造って欲しかった。紀元前1200年頃ギリシャとの戦いで、トロイは滅亡した。ギリシャが勝利を収めた最大の要因が「トロイの木馬」作戦の成功だった。申し分のない歴史的伝説である。トロイ遺跡は、ローマ時代のものも含めて、所々オリジナルの城壁や、木馬を運んだであろうと思われる石畳の道を見ることができる。修復作業も行われているが、あまり進んでいない様子だ。

途中昼食を取る。韓国のチジミによく似た食べ物で、食感もよく抵抗なく食べることが出来た。食事中にあっちゃんチームとミニミニチームが向かい合わせになり、喋り出したからもう止まらない。お酒も入り、まるで小宴会状態になる。私は離れた席にいたが耳障りである。三人家族チームのガキが、「あいつら、五月蝿いなあ」と、舌打ちをする。

昼食後フェリーでダーダネルス海峡を渡る。バスで3時間ほど走ると、イスタンブールの町が見え出した。

イスタンブールの人口は1500万人で、ボスボラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれている。『ヨーロッパとアジアの架け橋』と呼ばれている所以である。カッパドギアから始まり、今日まで我々はアジア側を旅してきたのであるが、今立っているのはヨーロッパ側である。ヨーロッパ側は、新市街と旧市街に分かれている。有名な観光地は殆ど旧市街に集中している。

急にバスのスピードが鈍くなった。ハンデさんが、「やはり渋滞し始めましたね、イスタンブールの交通渋滞は有名で、これも楽しんで下さい」。と言う。

市街地に近づけば近づくほどバスは殆ど動かなくなった。小嶋さんが自分のキャリーバックを持ってバスのドアから飛び出していく。このままの状況では今夜のベリーダンスのショーに間に合わなくなるかもしれないから、一足先に降りてホテルのチェックインを済ますのだそうだ。ハンデさんの説明の主旨が理解できたのは、バスがその場所から4~500mほどしてからユーターンをし、小嶋さんが下車した反対側に停車したときだった。それまでに要した時間は30分以上だった。私は

「これでは《飛んでイスタンブール》ではなく《渋滞んでイスタンブール》だ」と皆に聞こえるように言ったが、あまり受けなかった。

機転の効いた「小島」「ハンデ」コンビのお陰で、ベリーダンスショーが始まる時刻には十分間に合った。

ショーが始まる前に食事が運ばれてきた。一応前菜があり、スープも付いている。いよいよメインディッシュ。鶏肉がきた。フォークとナイフを駆使するが、なかなか切れない。まるでビーフジャーキーのようだ。ビーフジャーキーなら噛めばそれなりの味はあるが、ジューシーさの欠片もない。私は半分以上残した。隣の普通のOLチーム(私が勝手につけたニックネーム)も殆ど食していなかった。

『何処から来たの?』から会話は始まった。二人は元同僚で、片方は結婚を期に二年前に退職し、今回旦那さんは留守番との事。感じの好いもう一人は、家島出身で神戸の東灘住んでいるとのことだった。

ベリーダンスが始まった。何年か前にドバイへ行った時、砂漠の中で夜篝火を囲んで観たことがあった。ダンスそのものは今回のほうが遥かに上手く感じる。何曲目かの民族舞踊の時、踊り手が観客に舞台に上がるよう促した。300人近く観客はいたと思うが、我々の団体から名乗りを上げるペアがいる。目で追うとなんと背の高い男女のペア「インテリチーム」ではないか!最後まで会話はなかったが、意外と面白いペアだったかも知れない。そう言えば小島さんもそれらしきことを洩らしていた。

こうして4日目の夜も終わろうとしている。

明日は長女とのデートが待っている。但し、あの同居人も着いて来る。