或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


終章 ~それからの「或る二世経営者」~


Ⅷ 兵庫プレカットの章

第Ⅷ 兵庫プレカット㈱の章

 

 兵庫プレカットと言う社名で新たに設立してからは、今期で6年を迎えるが、その変遷は紆余曲折があり少々複雑である。

 現㈱サンホーム兵庫が、新光ロイヤル住宅㈱として、新光建設㈱とメーカーであるロイヤル住宅建材㈱が資本(新光建設52%・ロイヤル住宅建材48%)を出し合って発足した当時以前に遡らなければならない。つまり兵庫プレカット㈱の前身は、昭和52年12月に設立された新光工事㈱である。新光工事はロイヤル住宅と木造住宅の工事のみを行う施工専門の会社であった。新光ロイヤル住宅の設立時は、私は代表権のない副社長として関わっていたが、新光工事の経営責任者が突然退職したため、急遽新光工事の経営を見ることになった。しかしながら、5年も経過しないうちに本家である新光ロイヤル住宅の経営が行き詰まり、再び私は代表権のある副社長として、新光ロイヤル住宅に赴任したのである。新光工事の経営責任者が不在になったのをきっかけに、新光工事を当分の間休眠会社にしていた。しばらくして私の妹婿である高橋が、鳴り物入りで新光建設に専務として就任して来た。平成2年にプレカット部門を新たに創設することになり、休眠していた新光工事の名称を新光工業と変更して、事業を執り行うことになった。少々時代を先取りしていたこともあり、プレカット事業は人材(それぞれの部署に専門家が存在していた)にも恵まれ順調に推移していた。高橋はそれを好いことに、自分の取り巻きを雇い入れ新たな部門を作った。その結果業績は悪化を辿り、私が引き継いだ時点では手の施す術もなかった。私は高橋が雇い入れた社員を全員解雇した。生涯最初で最後の首切りだった。残った従業員のモティベーションは極端に低く、このままでは倒産しかねないと思い、当時比較的業績が良好だった新光住宅産業(現ニューマテリアル兵庫)との合併を挙行した。平成15年11月の事である。その4年後、平成19年11月、ニューマテリアル兵庫から新たに分社し創設したのが、現在の兵庫プレカット㈱である。もともと事業ドメインが異なるので、出来るだけ早い時期に分社を考慮していた。

 私は初代の社長に山脇を抜擢した。しかし彼はサンホーム兵庫時代にアパート事業を担当していた頃の面影もバイタリティもなく、初年度に2千万近い赤字(売上は1億5千万程。結局その累積赤字を解消するのに3年を要することになった)を計上してしまった。その責任に対しての反省の色もなく、私が提案する経営改善にも耳もかさず、ただその原因を外部環境に求め、一向に取り組む姿勢さえ見せなかった。再三に亘り私は業務の改善を彼に伝えた。彼はそれに嫌気が刺したのか、ある日突然辞表を持って私の前に現れた。型通りの慰留はしたが内心私は安堵した。

 一週間でトップ人事と再建案を纏めて、社員全員を集め、その席上で私は現状を詳しく説明し、

「私を含め経営者の責任でこのような状況に陥ったが、君たちにも責任はある。私は今どうするべきか迷っている。この会社を解散すべきかどうかである。私はこの会社からは一円の報酬も戴いてないから、株主さえ説得し同意を得れば、痛くも痒くもない。皆さんがもうどうでもいい、潰して下さいと言うならそうします、がどうしますか?」

と問いかけた。数分の沈黙を破って最も気の弱そうな社員が手を上げて

「潰さないでください。私はこの仕事が好きです。頑張りますからお願いします。」と言うと、他の社員も一同に賛意を示した。私は早速再建策を提示した。兵庫プレカットは、一ヶ月当たり900坪を施工すれば利益が出る企業体質だった。それを800坪の施工で利益を生み出す企業体質にするために、経費の大幅なカット(諸手当全額カット。残業手当もカット。幹部の給与30%カット。従業員二人を他のネットワーク企業に転籍)を断行し、資金繰りを円滑にするために、資本金を3000万から4500万に増資を執り行った。そして社長を細田君にお願いし、営業に全員で取り組む体制を整えた。

 兵庫プレカットの営業はルート営業である。我々が馴染んできた個別営業とはやり方も考え方も異なる。私は先ず全ての顧客を洗い出し、ABC分析を行った結果、営業活動をしなくても発注してくれる企業をA、アクションを起こさなかったら他のプレカット会社に発注してしまう企業をB、過去には発注を戴いたが、最近は途絶えている企業をCに分類し、Aランク企業とBランク企業を中心に一週間に一度の割合で訪問活動を繰り返させた。そしてAランクとBランクのお得意さまで700坪の仕事量を確保し、その他で100坪の施工を獲得出来る目処が立つと、月間900坪体制に向けて営業活動を展開していった。ルート営業の生命線は納期厳守と単純ミスの撲滅である。一度信用を失うと二度と帰ってこない。この二つについては口喧しく繰り返し言い続けた。

 細田君は私の指示を愚直に実践してくれた。そのお陰で4期には累積赤字を払拭することが出来、5%の配当も行う所まで業績は回復した。もともと業界としては先んじていたし、先人たちの地道な積み重ねもあり、信頼度は高かった。内部体制を整え、真摯に事業を遂行すれば、おのずから業績は就いてくる会社であった。私の経営持論の一つでもある「企業の業績の原因は内にある」を証明する形となった。まさしく絵に描いたような企業再建策が成功した事例である。細田君は現在サンホーム兵庫で資産活用分社を担当する専務執行役員とした任務を遂行してくれている。お人好しが災いしていくらかのフライングはあったが、来年3月に定年を迎えようとしている。彼ほど移動の多い者はなかったと思う。心から《ありがとう》と言って送り出してやりたいと思っている。

 兵庫プレカットは平成25年10月で第6期を迎える。財務的にもニューマテリアル兵庫から独立し、やっと一人前の企業として歩き出した。細田君の推挙もあり、現在は永山君が代表権のある常務執行役員として、日々の業務を担当している。お陰さまで消費税のフォローの風に乗って業績は順調に推移している。工場は二交代制を導入し、フル回転で操業している。諸手当も残業代も報酬も全て遡って戻し、いよいよこれから永山君が経営者としての真価を問われる事となる。密かに危惧の念を抱いているのは私だけだろうか?それが杞憂に終わることを今は祈っている。なんと言っても二度と使えないリストラを断行したのだから、、、