或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


終章 ~それからの「或る二世経営者」~


Ⅲ リフォーム兵庫の章

  リフォーム兵庫は今期(平成25年3月31日)で13期を迎えた。初代の社長が現在サンホーム兵庫の社長をお願いしている久保氏で、二代目が川上君である。記念すべき分社第一号の会社である。13年前はリフォーム事業として成り立つ可能性は見受けられたが、今日のような成長産業として脚光を浴びるとは、私自身正直予測はしていなかった。

 サンホーム兵庫内にリフォーム事業部として存在していたが、決して収益部門ではなかった。私は肥大する組織をこのまま放置しておくと、やがて血液やエネルギーが末端まで行き届かなくなるのではと感じ、細分化する決断をした。『少数にすれば精鋭になる』である。多少リスクは伴うかもしれないと思ったが、久保氏を社長室に呼び、①リフォーム事業が1兆円産業であること②サンホーム兵庫のこれまでの顧客が7000件あり、当面営業活動に支障をきたさない事③松下電工(現パナソニックエコソリューション社)が展開しているリファイン店戦略を一緒に推し進めていくことが出来る。等々理論付けて話をし、社長就任を要請した。

 彼は寝耳に水であったと思うが、2~3日後に承諾の意思を持って私の部屋にやってきた。「出来るだけ協力する」と約束したが、実際は殆ど表面上の協力は行わなかった。彼は後に「冷たい人だと」近い人に洩らしていたらしい。私は意識して半年間は完全に無視し続けた。特に資金繰りに関しては寝られない日もあったようだ。

 12年を経た後、久保氏にサンホーム兵庫の社長を要請する日が来るとは、当時二人とも夢にも思わなかったであろう。そして12年前と同じように、半年の間私はサンホーム兵庫に対して沈黙をし続けた。

 リフォーム兵庫の第1期の決算は、やや多めに受注残をお土産に持っていった関係で、売上は1,021,502(千円)だった。2期831,075(千円)3期999,006(千円)4期1,025,976(千円)5期以降も10億を下ることはなく、順調に推移していった。サンホーム兵庫のワンフロアで事業を展開していたリフォーム兵庫は、手狭になり事務所の移転を模索していた。時期を同じくして新光建設の社屋の老朽化が目立つようになり、建替えするかどうか迫られていた。経営再建中(今現在も再建中である)の新光建設にはその余裕はなく、数年前に新築した新光住宅産業(現ニューマテリアル兵庫)の社屋を譲り受け、新光住宅産業は山崎の地から姫路へ本社を移転する計画が持ち上がり、比較的業績の良い二社(リフォーム兵庫と新光住宅産業)が協力して新たに土地を買い求め、社屋を新築し現在に至っている。

 過大な設備投資をしたにも関わらずリフォーム兵庫は、今日まで安定した利益を上げ続けている。その主な要因は①サンホームの顧客を中心に営業活動を展開しているのであるが、数も多いが顧客の質に恵まれていること。これはサンホーム兵庫が永年に渡り《真のCS活動》に取り組んできた結果だと思われる。②リフォーム友の会を結成し囲い込み戦略の成果③全社員で粗利率の改善に取り組んだ結果高い%を確保出来、更に上を目指す社内規範が存在している事。④成果配分を大胆に行い、その恩恵を受けた社員が多くいる事。等々が挙げられる。

 それにしても久保氏の《運のよさ》にはほとほと感心する。私がサンホーム兵庫の後継者に選んだ最大のポイントは、彼が持つ《運のよさ》だった。嘗て日露戦争の時、時の海軍大臣山本権兵衛が海軍総司令官に、東郷平八郎を選んだ理由の一つが《運》であった。そのお陰で日本海海戦は、世界の海戦史上類を見ない圧倒的な勝利を収める事が出来、日露戦争は日本に有利な状況で進んでいくことになる。久保氏の《運のよさ》はリフォーム事業で遺憾なく発揮され、優良企業へと成長したと思っている。サンホーム兵庫の社長就任後もその運は衰えることなく、外部環境は①消費税の恩恵②アベノミクス、とフォローの風が吹き、内部的には今まで埋もれていた石が磨かれ光を放しつつある。

 久保氏の後を継いだ川上君は或る意味大変である。業績の良い会社を任されると、それを維持して当たり前、少しでもダウンすれば批判の的となる。彼の一期目、即ち13期は売り上げ1,191,902(千円)経常利益66,226(千円)と過去最高の業績数字を上げることが出来た。多分、彼は自分の能力だと、思っているだろうが、彼の真価はまさしく今期14期に問われることになる。

 リフォーム兵庫の成功が、その後私が執行した『分社戦略』を、自信を持って推し進められたことは確かである。ポスト消費税は『リフォーム・リノベーション・中古住宅・分譲住宅・福祉関連事業』にあると確信している。

 その一翼を担う『リフォーム兵庫』は少なくとも20億企業を目指して欲しいと願っている。