或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


プロローグ

名もない、実績もない中小企業の二世経営者が、この日本にどれくらいいるか数えたことはないが、おそらく、何万人かはいるはずである。私もその一人であ る。巨大な創業経営者であるオーナー社長を父に持った、しがない田舎町の二世経営者である。その全く無名の凡人が、その時々に悩み苦しみ、多少なる喜びを 享受する奮戦過程を記した書物があっても良いのではないかと思い、暇を見付けて随想的に纒めてみることにした。
私は大学を卒業すると同時に、父親の経営する建築会社に入った。営業マン、工事管理者、総務全般の仕事を経て、世間の型通り4年で専務取締役に就いた。所 謂経営者として第一歩を踏み出したのである。右も左も分からないうちに、隣県である岡山に営業所を作る事になり、私は専務取締役兼岡山営業所所長として、 単身赴任をした。今から、19年前の事である。現地採用をするため、生まれて初めて面接をした。こちらが面接されているような気分であったことを今も思い 出す。
岡山営業所を2年で後任のものにバトンタッチをして、本社に戻った。私のお目付役に父の創立当時から子飼い中の子飼いである常務がなった。毎日息の詰まる ような日々だったが教えて貰う事も多くあった。そうこうしているうちに、副社長になりお目付役であった常務は専務になった。給料は殆ど上がらなかった事だ け覚えている。経営をしている振りをしていた、と云うのが本当のところであろう。
昭和43年頃から、我が社は或る住宅メーカーの代理店をしていた。全国的な趨勢であったのだが、代理店システムをやめて協業会社システム、つまり地域有力 工務店とメーカーとが資本を折半し、別法人として新たに会社を設立し、販売と施工にあたり、メーカーもより協力体制を強化していく、という事になり、我々 も代理店から協業会社にいち早く名乗りを上げることになった。
設立当初はもちろんその協業会社の副社長として意気揚々と就任したが、本社(親会社のことをそう呼んでいた)の重要部署が突然空席になり、半年で親会社に 戻り、グループ会社の一つである工事の専門会社を見ることになった。実はこの事が非常に重要な事柄になってくるのである。それについては後述する事にす る。工事の専門会社を半年足らずで軌道に乗せた私は、暇で暇で毎日を持て余していた。その時期にJC所謂青年会議所に入会もし、ゴルフを本格的にやり始 め、現在もオフィシャルは11だが、自他共に認めるシングルプレイヤーになったのである。
さて、ではなぜ工事専門会社を見る事になったのが、重要な事柄になったのかと云うと、実は、工事専門会社にいた4年の間に、協業会社の経営が悪化してし まっていたのである。普通の会社なら倒産していておかしくない状態であった。メーカーのネームバリューと、地元の信用ある親会社の力で、もっていたといっ ても過言ではなかった。メーカーの強い要請で私は親会社から、協業会社へ行く事になったのである。
そこからこの奮戦記は始まるのである。もし、親会社のほうで欠員がなく、そのまま協業会社にいたとしても、ボロボロの同じ結果になっていたかも知れない。 しかし、親会社にいた4年の空白の時間が私に天命を与えてくれたのである。真の経営者として私はスタートしたのである。

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